逃亡見聞録_d

南から逃げてきた

設計

設計

設計が、ドチャクソ、難しい。

最近、BtoBで稼働してるシステムの設計書を書いている。要はドキュメント作成。正直、設計書なんて楽勝だろう、書いたことないけどなんて甘い考えで臨みました。

どう書いたら良いスカね?フォーマットあります?と尋ねてみると、ハゲ上司がクソ眠たいことをおっしゃる。

「わかるように書け。フォーマットは無い」こいつ死んだらいいのに。

わかりましたと心の中で唾を吐いたのは良いものの、そもそも設計書なんて見たこともない。というかこのシステム、ドキュメントが残っていない。フォーマットが無いから書かれていないのか、そもそもドキュメント作成なる文化が無かったのか、血眼になって探してみたが、出てくるのはjavadocに書かれた偉人達の愚痴ばかり。ほんと困っちゃうな。ハゲに相談すると、残っているわずかにドキュメント達も最新では無いどころか、前の前の前のバージョンである事実を告げられる。

「ドキュメントは信頼ならない。コードを紐解いて書け。ついで仕様書も作れ」

ながいたびが はじまる...

とりあえず、書き方を調べてみる。

HowToWriteAnEffectiveDesignDocument - 設計文書のうまい書き方

感動を安売りするな

「感動した。」

有名な作品に相対した時、思ってもない感想を知人に伝えてしまう。金のない時分。恋人とのデート場所に何度か美術館を指定していた時期がある。それでまぁ適当に外国人画家の油絵とかを鑑賞したのだが、全くもって良さが分からなかった。正直、本命はその後、恋人の自宅に転がり込む事なのだから、全く集中できていなかったのだから当然だし、そもそも、私自身、絵画に対する審美眼を一切持ち合わせていないというのも理由としては明白だろう。美術館や芸術館、博物館などは常設展なら無料から1000円ちょいで観覧できる。別に興味がなくたって、解説をいちいち読んでいけば正味2〜3時間は潰せる。私にとって美術館とはそれだけの場所である。

しかし、自身の関心事はどうだ?例えば、アニメ好きならクラナド、読書家なら夏目漱石、酒の通なら獺祭、風俗狂いならAV女優在籍ソープ。最後のはちょっと違うかもしれないし、酒に関しては私はハイボールしか飲まないので適当なのを挙げた。要は好きなジャンルにおける要石である。あなたはそれらを全て、自身の範疇に迎え入れられるだろうか。私にはとても無理だ。

ビートルズの呪縛

高校生のころ、私はハードコアパンクを愛聴していた。特に世間では流行っていなかったが、youtubeとallmusicをひたすら巡廻していれば、労せずして知識を蓄えることができる。バンザイ。インターネット。ハードコアパンクを入り口に色々なジャンルを聴いてみたりした。こうなると高校生特有の自意識熟成期間に陥ってしまいそうだが、田舎だったおかげか、ちょっと音楽に詳しい奴ぐらいに扱われ、変に拗らせることなく、高校3年間を謳歌できた。そんな風に健康的な音楽生活を過ごしてきたのだが、今日に至ってもビートルズが好きになれない。つまらない。 友人達には色々勧められた。リボルバー、サージェントなんちゃら、ホワイトアルバム……。一向に耳に入ってこない。しかし、相手への配慮、そして、音楽が好きならビートルズは当然、といった薄っぺらい見栄を張ってきた。「すごい。60年代とは思えない。」「感動した。」、バーゲンセール。心の底では何とも思ってない。嫌いですらない。つまらない。上司へのお世辞と何も変わりはない。私は10年近く、この不毛な返答を続けてきた。ビートルズは50年前の音楽で相応に色褪せて響く。

感動した。と嘘をつくと、狼少年を思い出す。自身が本当に心動かされる物に出会っても、頭がその感動を取り合ってくれないのではないのか。人間は、経験や行動によって形づくられる。感覚に嘘を吐く度、価値観は自身の基準から離れていくように思う。

ビートルズはつまらない。

長い。多い。

昨日は2時間、一昨日は2時間、今日こそ無いが、週明けに3時間、なぜ、ミーティングがこんなにも長く、頻度が高いのか。疑問に思わんのか。

無駄な会議を批判する人々は常に存在する。しかし、無駄な会議は無くならない。その理由が自分がウンザリするほどミーティングに参加して初めて気づいた。

恐らく「無駄な会議」は存在しない。

私が参加した会議のうち、私が必要な会議とはいくつあったのだろう。進捗を聞かれて、答えただけという場面はいくつもあった。問題提起や解決案の提示なんて、私はあまりしたことがない。時たま意見を出しても、撥ね付けられてしまう事が何度かあった。普通にしょんぼり。こうして人は墜ちていく。最近は、空に向かって相槌を打ち、何か聞かれたら答えるだけ。全自動な営みをひたすら続けている。その様は打ち捨てられたBotアカウントを思わせるだろう。思わんか?これでは会議に参加する意義を見つけられるわけがない。

相槌(+頷き)をtweetしながら、ミーティングの内容を聞き流す。どうやったら、心身ともにミーティングに参加できるのか。私には分からない。藁にもすがる思いで、仲の良い先輩に尋ねてみる。

「俺、ミーティング中寝てるからわかんない。」

聞く相手を間違えた。クソかよ。そういえばこいつ、業務中に船漕ぎまくってたな。心中悪態をついて、話題を終わらせようとした時、

「そもそも、個人間でやりとりしてれば、定例のミーティングなんていらんしね。」

なるほど、と思った。確かに、ミーティング以外でやりとりをしていれば、ミーティングなんぞはいらん。この大ネットワーク時代、いい大人が小部屋に集まってうーむと頭を傾けるだけの時間なんていらん。小学生ですらLINEグループでやりとりをしている。

アジャイル開発におけるミーティングの意義ってなんだろうと少し調べてみたら、定例ミーティングを全否定している記事を見つけた。正確に言うと、Yegor Bugayenkoさんの記事:Daily Stand-Up Meetings Are a Good Tool for a Bad Managerを和訳した記事、である。2015年夏と古いかもしれないが、マネジメント手法は最新であれば良いというものでもない。

www.kaitoy.xyz

プロジェクトマネージメントにはコミュニケーション管理が必要だ。 情報伝達フローが適切に構成されていれば、チームメンバはいつどのようにマネージャに報告すればいいかが分かる。 何か問題が起きたとき、そういう状況をどのように報告しなければいけないかを全員が知っている。即時、直接報告するのだ。

まさに、先輩が言っていたようなことをこの記事は発信している。まぁ、先輩はただのプログラマーで、単純に集団の中で何か喋るのが億劫ってだけだろうが、この記事は「マネージャー」という立場に焦点をあてていて、かなり灰汁の強い文章だが、それなりに納得できる。

  1. 「複雑なタスクを小さいサブタスクに分解する。」
  2. 「それらを部下に委譲する。」
  3. 「報酬と、ペナルティと、ルールをはっきりと伝える。」
  4. 「 報酬はちゃんと支払われること、ペナルティは免れられないこと、ルールは厳格に守られることを確実にする。」

上記の4ステップをやっているマネージャーを、私は知らない。そもそも、日本企業で3、4を実行できるほどの権限を持つマネージャーっているんだろうか?

みたいな話を大衆居酒屋で先輩に話したところ、「お前は俺の最終出社日にそんな話をすんのか。」と若干キレ気味だった。この人とは長い付き合いになりそうである。

反劇的人間

やる気が起きない。というか、今までの人生でやる気があった時なんて、ほぼなかったような気がする。

小中高大、学生時代は一貫してやる気を出せと言われ続けた。基本的にめんどくさがりで小賢しい人間なので、自分が興味のない物事は人のやり方を真似したりしてやり過ごしてきた。グループ作業なら、「そういうのいいね」「なるほど」。肯定的な相槌に終始する。それなら非難を浴びる事はない。

自分の興味が惹かれる物事に関してはどうだろう。と思うのだが、これも他人が介入してきた途端に、やる気がなくなる。大学在籍時、サークルでやっているバンド活動に、無関係な古株が口を挟んでくると急速にやる気が失われていた。

このまま、社会人になってしまって良いのか?と不安もあったが、二つほど、気づいたことがある。

一つ目、自身の興味がない物事はやり過ごすべきなのだ。むしろ、この姿勢を社会人として洗練させる必要を感じている。時間は有限なのだし、どうでもいい事象に構うなんて無理ですよ。やり過ごす手法としては、今のところ、「自信無さげに仕事を受け、ある程度まで手をつけたら人に投げる(泣きつく)」がベストプラクティスなのだが、最近は泣きつく相手が自分よりもやる気がない人物である場合も多くなってきた。どちらにしろ、キャリアを積んでいくにつれて使えなくなってしまう。まだまだやれるはずだ。

二つ目は、古株のアドバイスは本気で役に立たないので真剣に受け止める必要はない。これは古株が仕事できる/できないは関係ない。なぜなら、新人や若手にアドバイスしようと考える人間は、まず、相手の理解力やら、どこまで知見があるのかやらを大体把握していなければならない。しかし、そんな七面倒な事は誰もやらないだろう。それに、手前勝手なアドバイスをするよりも、相手の質問に真摯に答えてあげる方が有意義だろう。ならばなぜ、俺の話を聞けとばかりにアドバイスする輩が絶えないのか、彼らは決して馬鹿ではない。ただ、「後輩が話を聞いてくれる」事象に執着している。この東京砂漠、自分の言葉に肯定的な相槌がひたすら返ってくる感覚を追い求めているのだ。一度は皆、耳にしたフレーズ「頻繁に顔を出すOB」。馬鹿にしてはいけない。誰しもが心の隅にこいつを飼っている。他者肯定感を欲しがっているだけなのだから、いくらでも愛想をプレゼントしてあげればよかろう。

この二つに気づけたのは、社会人三年目にして大きな進歩だった。生きていける。やる気がなくたって、俺は生きていくぞ。

関東に出てきて驚いたのは、虫に触れない人が結構いるということだ。老若男女、その分布はひろい。道路に虫が飛び出てくるだけで悪態をつく。別に大の虫好きてはないが、そこまで嫌うかなぁと正直思う。

一度、関東出身の友人数名に尋ねてみたことがある。いずれも、素手で蛾を捕獲する自分を「野生児」の罵った連中である。こいつらは部屋に蛾が迷い込んできたことが無いのか?窓ぐらい開けろ。

以下、友人達の弁である。

汚い。色んなものがつきそう

こういう手合いは想像力が足りない。貧困で不毛な思考の連鎖の末、何らかの虫を触れる人間は、ゴギブリやらカマドウマやらを平気で鷲掴みにすると信じているらしい。笑止千万。自らができないことを全て異常だと考える馬鹿な連中である。ただ、蛾を外へ逃がした後、いつも手持ちのウェットティッシュをそっと渡してくれる。ありがとう。

潰しそう

己の力を制御できない哀しきモンスター。もしくは拳を握る寸前の状態を作り出せない人智を超えたぶきっちょ。鉛筆や箸の持ち方がおかしいのは言うまでもない。一方で「一寸の虫にも五分の魂」を胸に秘める情熱家でもあり、虫の身を案じる慈愛の心を持つ。正直憧れる。

窓開けたら出ていくじゃん。

やらなくてもいいことはやらない。部屋に虫がいる、という状況を皆がどう思うのか全く考えないサイコパスゆとり世代にあるまじき道徳力の低さは友人の数と比例している。さらに言えば、「窓を開けておく」という行為に何の疑問も覚えない、一点の曇りもない自分への自信。パソコンが壊れたら当然のように「何もしてないのに壊れた」と抜かす顔が思い浮かぶ。思惑外れ、二匹目が入ってきてしまった時の慌てようは皆の顔をほころばせる。飲み会には絶対に呼ぶ。間違いないから。

以上のように、虫が触れない関東人はハッキリとした二面性が見られる。口を酸っぱくして言うが、「東京」ではない。「関東」である。茨城群馬山梨静岡長野もそうかな。神奈川もか、どこか忘れているかも知れないが、野を駆け山を駆け、電車と温泉の数が反比例する県出身の方々も、のっぺりとした口でイナゴを食べ、家に入り込んだ虫達に畏敬の念を禁じ得ないのだろう。ただ、私は関東出身の人が何故か馬が合うので、彼らの前では積極的に蛾を捕まえるのである。無論、素手。

フレンズオアソープ

空腹

最近、腹が空いている。腹が減ってる時に腹が減ったと思うのは非常に動物的で、けものフレンズだと思う。ただ、如何せん食べた後に「なんか物足りないな」と思うことが増えて来た。

自分は、というより、自分の肉体は風邪イコール栄養不足だと結論づけるらしい。風邪気味だと軽い飢餓感に襲われ、食後にタバコやら飴やらを咥えていないとどうも落ち着かないといった具合だった。

しかし、最近はどうも違う。何かを咥えて誤魔化すことのできない。飢餓感とは違う、具象の飢餓が起こっている。先ほど裏ダブルチーズバーガーのセットを食べたのに、ファミチキを食べたくなっている。腹の肉もだぶついてきた。このままでは……。

選挙

選挙に参加したことが生まれてこのかた一度もない。こんな話を周囲にすると、社会人としてあり得ないだとか、高校三年生以下だとか、意識の低いゾンビ、動物とか言われてしまうのだけど、何故、皆それほど政治に積極的になれるのか全くわからない。あんなのどうでもよくない?とか思ってしまう。

来たる6月23日だか7月2日だかの東京都議選も全く興味が湧かない。だってめんどい。というか、あの投票した人間の投票してない人間に対する態度はなんなんだよ。何も成し遂げてねーよ。スカしてんじゃねーぞコラ。

しかし、そろそら自分も20代後半。そっぽを向いていた事柄にも向き合わなければならない。

もう20代後半。まだ20代後半。東京オリンピックの開催年はギリギリ20代だが、一年の流れる速度は年々増しているので、とてもじゃないが流暢に構えていられる歳ではない。

三十路になるまでに何かを達成していたいし、少し大人になっていたい。

あーソープ行きてー

Don Caballero - world class listening problem

Don Caballero

久しぶりにCDを買った。

World Class Listening Problem

World Class Listening Problem

Don Caballero のメジャー移籍作1枚目、Rlapseから2006年にリリース。

正直にいうと1曲目で笑ってしまった。メタル演っちゃいました感が凄い。ダッダートゥルルールダッタララ

Touch and Goからリリースされていた作品に比べると相当粗くなっている。リフを重ねて構築云々の印象はない。楽曲構成は複雑だけども音圧も均一っぽいし、これがメジャーか。

オススメは5曲めの Palms Trees In the Fecking Bahamas 2007年の東京でのライブ動画があった。3人で演ってんのかスゲーな。


Don Caballero - Palm Trees In The Fecking Bahamas

この作品に比べると前作は凄い可愛げがある。ジャケットも然り、

American Don

American Don

この曲最高なんだよな。手前のギターは現BattlesのIan Williamsかな。


Don Caballero. Live In Seattle 1999. Part 2