逃亡見聞録_d

南から逃げてきた

関東に出てきて驚いたのは、虫に触れない人が結構いるということだ。老若男女、その分布はひろい。道路に虫が飛び出てくるだけで悪態をつく。別に大の虫好きてはないが、そこまで嫌うかなぁと正直思う。

一度、関東出身の友人数名に尋ねてみたことがある。いずれも、素手で蛾を捕獲する自分を「野生児」の罵った連中である。こいつらは部屋に蛾が迷い込んできたことが無いのか?窓ぐらい開けろ。

以下、友人達の弁である。

汚い。色んなものがつきそう

こういう手合いは想像力が足りない。貧困で不毛な思考の連鎖の末、何らかの虫を触れる人間は、ゴギブリやらカマドウマやらを平気で鷲掴みにすると信じているらしい。笑止千万。自らができないことを全て異常だと考える馬鹿な連中である。ただ、蛾を外へ逃がした後、いつも手持ちのウェットティッシュをそっと渡してくれる。ありがとう。

潰しそう

己の力を制御できない哀しきモンスター。もしくは拳を握る寸前の状態を作り出せない人智を超えたぶきっちょ。鉛筆や箸の持ち方がおかしいのは言うまでもない。一方で「一寸の虫にも五分の魂」を胸に秘める情熱家でもあり、虫の身を案じる慈愛の心を持つ。正直憧れる。

窓開けたら出ていくじゃん。

やらなくてもいいことはやらない。部屋に虫がいる、という状況を皆がどう思うのか全く考えないサイコパスゆとり世代にあるまじき道徳力の低さは友人の数と比例している。さらに言えば、「窓を開けておく」という行為に何の疑問も覚えない、一点の曇りもない自分への自信。パソコンが壊れたら当然のように「何もしてないのに壊れた」と抜かす顔が思い浮かぶ。思惑外れ、二匹目が入ってきてしまった時の慌てようは皆の顔をほころばせる。飲み会には絶対に呼ぶ。間違いないから。

以上のように、虫が触れない関東人はハッキリとした二面性が見られる。口を酸っぱくして言うが、「東京」ではない。「関東」である。茨城群馬山梨静岡長野もそうかな。神奈川もか、どこか忘れているかも知れないが、野を駆け山を駆け、電車と温泉の数が反比例する県出身の方々も、のっぺりとした口でイナゴを食べ、家に入り込んだ虫達に畏敬の念を禁じ得ないのだろう。ただ、私は関東出身の人が何故か馬が合うので、彼らの前では積極的に蛾を捕まえるのである。無論、素手。